言う甲斐の無いこと

誰かに言う程でもないようなことをのんびり書いていくだけの雑記。

夢の中の私は、起きている私とは別人みたいだ。

 この数日間、何度か夢を見たことは覚えているのに、内容はあまり思い出せない。

 前回の記事で「もし夢を見たならばそれについて書こうか」などということを書いたが、土台無理な話だったのだ。私は夢の内容を碌に覚えていたことがないし、覚えていても断片的で文章化するのは難しい。一時期だけ夢日記のようなものを書いていたけれど、やはり三日坊主だった。日記と言うほど大層なものでもなく、覚えている場面を箇条書きにしていただけだったが、そのように簡単なメモでも、朝起きてすぐに書くのは中々に労力がいる。私は朝に弱い。

 昔から朝が苦手だったかというと、たぶんそうではない。というのも、苦手意識は昔からあったけれど、現状からすれば素晴らしく寝起きが良かったように思うのだ。小学生の頃は、朝になると母親の足音で目が覚めた。私の部屋は二階にあって、母が私を起こしに階段を上がるのだが、その音で自然と意識が浮上する。そして「起きなければ」と思い、上体を起こして布団横のランドセルの冠(「かぶせ」と読む。ランドセルの蓋の部分をそう呼ぶらしい。今更知った。)を開け、意味もなくごそごそとする。本当は前日に準備している癖に、その日の授業の用意をしているふりをしていたのだ。あの頃の私は、何故だか「私は起こされるまでもなく、とっくに目覚めていましたよ。」と見せかけたがっていた。変に見栄っ張りだ。母親が部屋の扉を開けて、既に起き上がっている私に一言声を掛けて立ち去ると、私はもう一度布団に寝転がる。一分から二分程度目を瞑って、満足したらまた起き上がり、それでやっと布団から離れた。そんなことをいつもしていたが、今思うと不思議な行動だ。

 そういえば、一度だったか二度だったか、夢のお蔭で忘れ物をするのを免れたことがあった。体操服を忘れる夢を見て、起きたら「今日は体育があるのに体操服の準備を忘れていた」と気付いたのだ。あの夢は非常に助かった。普段朝はバタバタしていて、前日に準備をしなければ何かを忘れてしまう。

 役に立った夢といえばそれぐらいだが、私は役に立たない夢も好きだ。支離滅裂な様がとても面白い。けれど、一番面白く思うのは自分の思考だ。夢の中の私は、滅茶苦茶な世界で起こることに対してもっともらしいことを考えるが、夢から覚めた瞬間「何故あんなことを考えていたのだろう」と思う。それがなんだか可笑しくて、ずっと覚えていたいけれど、朝の準備の忙しさに紛れて思い出せなくなる。夢の内容をはっきりと覚えているには夢日記を書くのがいいというけれど、安眠出来なくなるとも聞く。それに、先に述べた通り、私は続かなかった。


 今日も眠くて仕方ないので、この記事はこれで終わろうと思う。夜更かししてまで書くことでもないのに、何故だかこんな時間になってしまった。低血圧だから朝に弱いのだと心の中で言い訳をしているが、結局はこの夜更かしが原因なのだ。反省しなければ。